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常滑焼

約1,000年の窯場から、暮らしの道具へ。土と火が育てた常滑焼。

愛知県知多半島の常滑で育まれてきた常滑焼。平安時代末期にあたる12世紀初め頃から窯業が始まったとされ、「日本六古窯」のひとつとして日本遺産にも認定されています。低温でも焼き締まり、水を通しにくくなる土質が持ち味。はじまりは茶碗類、やがて甕や壺といった大物へと広がり、全国の遺跡からは常滑焼が24,000点以上発掘されたという記録も残ります。江戸時代後期には急須づくりが始まり、精巧なパーツを組み立てる技術と土地の土が重なって“常滑の急須”へ。明治以降は土管やタイル、帝国ホテルに使われた「黄色い煉瓦」の製造など、時代の要請に合わせて姿を変えてきました。いまは急須や器、園芸鉢まで。身近な道具として、常滑焼は今日もそっと寄り添います。

〒479-0836 愛知県常滑市栄町3-8(常滑市陶磁器会館2階) とこなめやき
常滑焼

ここが推し!

最初に手に取るなら、やはり常滑の急須から。朱泥色の急須はこの産地の代名詞で、胴体と蓋を合わせて焼く「すり合わせ」による“ぴたり”とした収まりも見どころです。煎茶を淹れる日は、湯のみで一度湯冷まし(約90℃目安)してから急須へ。待つ1分の間に、机の上が少し静かになる感じもいい。器から入るなら、湯のみや小皿を少しずつ。土の表情が食卓にやさしくなじみます。散歩道や資料館と一緒に巡ると、窯や土管の風景までひと続きに見えてきます。

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常滑焼を語るとき、まず浮かぶのは土地の話。知多半島の土がやきものに向き、丘陵地帯が窯づくりに合っていたこと。さらに伊勢湾に面して水運に恵まれ、港から船で各地へ運べたこと。つくる力と運ぶ力がそろって、産地は大きく育っていきました。

窯業の始まりは、平安時代末期にあたる12世紀初め頃とされています。低温でも焼き締まり、水が漏れにくくなる土質を生かし、茶碗類の生産からスタート。やがて甕(かめ)などの大物づくりが広がり、用途も藍染や醸造、埋葬までさまざまです。全国の遺跡から発掘された常滑焼は24,000点以上という記録があり、その多くが甕・壺・鉢といった大物だと紹介されています。

そして、常滑焼といえば急須。陶工が江戸時代後期に急須が描かれた図録を手に入れ、真似てつくったのが始まりという説が語られています。朱泥色の美しさは、鉄分を含んだ土を精製し、焼成の最後に酸化させることで実現する「朱泥焼」。急須がぐっと“常滑らしく”見える理由のひとつです。

急須は胴体、注ぎ口、取っ手、茶こし、蓋などのパーツを別々につくり、組み立てて完成します。江戸時代にはお茶を火にかけて煮出していたため、持ち手が熱くならないよう取っ手を横に付けたという背景も。胴体と蓋が重なる部分は「すり合わせ」と呼ばれ、合わせて窯入れすることで仕上がりがぴたり。隙間が少なく湯の温度を保てる点も評価されてきました。

昭和30年代になると、型を用いた量産の技術が常滑急須にも確立されます。海に面した水運の強みもあり、需要の高まりとともに常滑は急須の一大産地へ。ロクロ引きの伝統も続き、現在も常滑で伝統的な急須づくりを手がける作家は約50名ほどと紹介されています。産地ぐるみで育成に取り組む姿も、この土地らしい風景です。

常滑焼は“急須と器”だけではありません。明治以降、下水道整備や近代建築の建設が始まると、土管やタイルなどの需要が拡大。名建築・帝国ホテルに使われた「黄色い煉瓦」を製作する技術が常滑にしかなく、樽水の直営工場でつくられたと伝えられています。戦後はトイレや内装タイルの生産も増え、家庭用の園芸鉢や急須も盛んに。最近では「コーヒー急須」のような新しい商品も誕生しています。

窯の変遷をたどるのも、常滑の楽しみ。ガス窯は釉薬が溶ける1250℃を目指し、季節や風の影響も見ながら温度管理を行います。電気窯はプログラムで焼成でき、ムラが少なく仕上がるのが特徴。薪窯は窯詰めだけで約1週間、火入れでは三昼夜かけて薪を焚き続け、1回の焼成で600束を使う例も紹介されています。炎と灰がつくる野趣の表情は、やっぱり特別です。

古い窯にも物語があります。常滑やきもの散歩道の登窯広場に残る登窯(陶榮窯)は、1887年頃につくられた連房式登窯で、焼成室が8室連なり、すべて焚き終わるまでに11日ほどかかったとされています。昭和49年まで活躍し、国指定重要有形民俗文化財に認定。かつて60基以上あった登窯の、現存する唯一のものになりました。さらに、籠池古窯では1135~1150年頃と1220~1250年頃の窖窯(あながま)跡が並び、傾斜や幅の違いから用途の違いが読み取れる――先人の試行錯誤が見えてきます。

常滑焼をもっと深く知りたくなったら、とこなめ陶の森資料館へ。歴史や陶工の工夫、暮らしを支えてきた背景がまとまっていて、街歩きが一段と楽しくなります。器を選ぶ目線と、産地を歩く目線。どちらも行き来できるのが、常滑焼のいいところです。

「日本六古窯」のひとつ。土・地形・立地が支える産地

常滑は「日本六古窯」のひとつとして、日本遺産にも認定された産地です。やきものづくりに適した土が広く分布し、窯を設けやすい丘陵地帯があること。伊勢湾に面し、水運にも恵まれていたこと。土地の条件が重なり、質の高いやきものが各地へ運ばれていきました。

“常滑の急須”が愛される理由。土質と技術の掛け算

江戸時代後期に始まったとされる急須づくりは、常滑焼の大きな顔。鉄分を含む土をきめ細かに精製し、焼成の最後に酸化させることで朱泥色を生み出す「朱泥焼」など、産地ならではの技法があります。胴体と蓋の重なりを仕上げる「すり合わせ」も特徴で、隙間が少なく湯の温度を保ちやすい構造。さらに常滑急須は鉄分が茶の成分・タンニンと反応し、苦みが取れてまろやかになると紹介されています。

甕・壺から、土管・タイル、そして“コーヒー急須”まで

常滑の土は低温でも焼き締まり、水を通しにくくなる特性があり、甕・壺・鉢といった大物づくりが広まりました。明治以降は下水道整備や近代建築の流れで、土管やタイルを大量生産。帝国ホテルに使われた「黄色い煉瓦」の製造など、暮らしを支えるやきものとして姿を広げてきた歴史があります。最近は日本茶の枠を越える「コーヒー急須」など、新しい提案も生まれています。

窯を見ると、常滑焼がもっと面白くなる

常滑には、現代のガス窯・電気窯・薪窯から、明治期の登窯、平安時代末期の古窯址まで多様な窯が残ります。ガス窯は酸化焼成/還元焼成の状態や炎の当たり方で表情が変わり、予期せぬ「窯変」も魅力。電気窯はプログラムで焼成でき、均一性が求められる急須にも使われます。窯の背景を知ると、器の表情の見え方も変わってきます。